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3月になると思い出します
2020/03/22
昔の話になりますが、昭和40年代は日本は高度成長のさなかでした。
毎年3月の卒業の季節になると東京や大阪の都会へ北からも南からも、
いわゆる「金の卵」といわれた多くの方が集団就職列車に乗って都会へ
とやって来られるのは、毎年の風物詩でした。。
私も九州のいなかの駅で集団就職列車を何度も見かけたことがありま
したが、ある年の3月のことでした。
まだ沖縄が日本に返還されていなかったため、当時はまだ日本最南端
だった与論島を友人と旅行した時の思い出です。
帰りの船に乗船しますと、船長さんより「本日は島の中学の卒業生が
集団就職のために乗船されます」とアナウンスがありました。
アナウンスで初めて集団就職は「列車」ではなく「船」もあることに、
気が付かされました。
出船し、友人とデッキでテープでの涙の別れの風景を見ておりました。
ちょうど港からの声が遠くなりかけたときに、隣にいた女の子が突然
大きな声で男の子の名前を叫んで、その場に泣き崩れました。
女の子はもっと早くに、大好きな男の子の名前を呼びかけたかったの
でしょうが、とても恥ずかしかったのだと思います。
周りもこの女の子の行動に思わずホロリとさせられました。
今は島に空港もあり、メールなどSNSもある時代になりましたが、
毎年3月になると思い出してしまいます。
毎年3月の卒業の季節になると東京や大阪の都会へ北からも南からも、
いわゆる「金の卵」といわれた多くの方が集団就職列車に乗って都会へ
とやって来られるのは、毎年の風物詩でした。。
私も九州のいなかの駅で集団就職列車を何度も見かけたことがありま
したが、ある年の3月のことでした。
まだ沖縄が日本に返還されていなかったため、当時はまだ日本最南端
だった与論島を友人と旅行した時の思い出です。
帰りの船に乗船しますと、船長さんより「本日は島の中学の卒業生が
集団就職のために乗船されます」とアナウンスがありました。
アナウンスで初めて集団就職は「列車」ではなく「船」もあることに、
気が付かされました。
出船し、友人とデッキでテープでの涙の別れの風景を見ておりました。
ちょうど港からの声が遠くなりかけたときに、隣にいた女の子が突然
大きな声で男の子の名前を叫んで、その場に泣き崩れました。
女の子はもっと早くに、大好きな男の子の名前を呼びかけたかったの
でしょうが、とても恥ずかしかったのだと思います。
周りもこの女の子の行動に思わずホロリとさせられました。
今は島に空港もあり、メールなどSNSもある時代になりましたが、
毎年3月になると思い出してしまいます。