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今はなき素晴らしい居場所
みなさん、こんばんは。
株式会社リライト 代表の田中です。
今回は、素晴らしい居場所について。
今日は朝からお昼過ぎまで大学時代のバスケットボール部の同級生のお父様の葬儀でした。
友人のお父さんとお会いしたのは、大学入学後数日してからでした。
部活をするためにスポーツ推薦で入学した私でしたが、私も同級生もお互いを知らず、入学当時は誰と何を話せばよいのか、居場所がなかったことをおぼえています。
そんな中、友人が「うち、もんじゃ焼き屋しているから、みんなで来いよ」と声をかけてくれて本当にみんなでもんじゃ焼きを食べに行きました。
よく考えるとこの時人生で初めてもんじゃ焼きを食べたかもしれません。
全てのメニューが絶品だったのですが、特にもちチーズもんじゃとあんこ巻きは特別美味しかった。(^^)
もちろん、もんじゃ焼きを食べながら、同級生同士で自己紹介などをし、帰る時にはとても仲良くなっていました。(^^)
友人のお父さんは、終始笑顔で「たくさん食べていってね」と。
それからというもの、試合に勝てば、友人のもんじゃ焼き屋で祝勝会、負けたら負けたで反省会、プレーや私生活で沈みそうな人がいた時もみんなでもんじゃ焼きを食べに行き、互いに支え合っていました。
いつでも友人のお父さんはポジティブで、「次は勝てばいい」、「おめでとう」など笑顔で話しかけてくれました。
この時の私は大学生、それでも同級生と一緒ならなんでもできる気がしていた。
仮に転んでも何度でも起きあがってやると思っていた。
大学を卒業し、社会人になってからももんじゃ焼きを食べに行きました。
私の妻と娘を連れて行ったこともあります。
訃報を聞いた時は、何だか心にぽっかりと穴が開いたような感じ、ちょうど10年前に母が他界した時も同じでした。
友人は辛いのに気丈に振る舞っていましたが、そんな友人にかける言葉が見つかりませんでした。
頑張れよ、とも言えず、友人と一緒に少しずつでも前に進んで行けたらいいと思いました。
長野県から来ていた同級生は、「東京の親父だから」と言っていたのがとても印象的でした。
スマホのアルバムには、友人のもんじゃ焼き屋で部活の仲間たちと撮影した写真、中心には友人のお父さん、お母さん。
みんな本当に最高の笑顔で、最高の思い出。
当たり前に通っていたもんじゃ焼き屋が、私にとっての素晴らしい居場所でした。
残念ですが、もうそのもんじゃ焼き屋はありません…。
今日の友人のお父さんは、「裕治くん、また来てね」と今にも話しかけてくれそうな清々しいお顔をされていました。
あ~、思い出すと目に涙が浮かんでくる…。
友人のお父さんには、「素晴らしい居場所を、素晴らしい時間をありがとうございました」とお伝えしました。
そして、友人のお父さんのご冥福をお祈りします、心から。
株式会社リライト 代表の田中です。
今回は、素晴らしい居場所について。
今日は朝からお昼過ぎまで大学時代のバスケットボール部の同級生のお父様の葬儀でした。
友人のお父さんとお会いしたのは、大学入学後数日してからでした。
部活をするためにスポーツ推薦で入学した私でしたが、私も同級生もお互いを知らず、入学当時は誰と何を話せばよいのか、居場所がなかったことをおぼえています。
そんな中、友人が「うち、もんじゃ焼き屋しているから、みんなで来いよ」と声をかけてくれて本当にみんなでもんじゃ焼きを食べに行きました。
よく考えるとこの時人生で初めてもんじゃ焼きを食べたかもしれません。
全てのメニューが絶品だったのですが、特にもちチーズもんじゃとあんこ巻きは特別美味しかった。(^^)
もちろん、もんじゃ焼きを食べながら、同級生同士で自己紹介などをし、帰る時にはとても仲良くなっていました。(^^)
友人のお父さんは、終始笑顔で「たくさん食べていってね」と。
それからというもの、試合に勝てば、友人のもんじゃ焼き屋で祝勝会、負けたら負けたで反省会、プレーや私生活で沈みそうな人がいた時もみんなでもんじゃ焼きを食べに行き、互いに支え合っていました。
いつでも友人のお父さんはポジティブで、「次は勝てばいい」、「おめでとう」など笑顔で話しかけてくれました。
この時の私は大学生、それでも同級生と一緒ならなんでもできる気がしていた。
仮に転んでも何度でも起きあがってやると思っていた。
大学を卒業し、社会人になってからももんじゃ焼きを食べに行きました。
私の妻と娘を連れて行ったこともあります。
訃報を聞いた時は、何だか心にぽっかりと穴が開いたような感じ、ちょうど10年前に母が他界した時も同じでした。
友人は辛いのに気丈に振る舞っていましたが、そんな友人にかける言葉が見つかりませんでした。
頑張れよ、とも言えず、友人と一緒に少しずつでも前に進んで行けたらいいと思いました。
長野県から来ていた同級生は、「東京の親父だから」と言っていたのがとても印象的でした。
スマホのアルバムには、友人のもんじゃ焼き屋で部活の仲間たちと撮影した写真、中心には友人のお父さん、お母さん。
みんな本当に最高の笑顔で、最高の思い出。
当たり前に通っていたもんじゃ焼き屋が、私にとっての素晴らしい居場所でした。
残念ですが、もうそのもんじゃ焼き屋はありません…。
今日の友人のお父さんは、「裕治くん、また来てね」と今にも話しかけてくれそうな清々しいお顔をされていました。
あ~、思い出すと目に涙が浮かんでくる…。
友人のお父さんには、「素晴らしい居場所を、素晴らしい時間をありがとうございました」とお伝えしました。
そして、友人のお父さんのご冥福をお祈りします、心から。